岡崎和郎 - 図書館プロジェクト

企画と文:空閑俊憲

協力:世田谷美術館玉川台図書館 横田 茂ギャラリー

2011年7月27日 → 2012年5月31日

世田谷区立玉川台図書館 

東京都世田谷区玉川台1-6-15 玉川台区民センター3階

チラシ制作 空閑俊憲
チラシ制作 空閑俊憲

2011年7月27日〜

「心 – 天を指差す」岡崎和郎 作  / 空閑俊憲 文

用賀にある玉川台図書館では今までにない美術作品の展示方法が始まっています。昨年鎌倉の近代美術館で回顧展をされた彫刻家、岡崎和郎の作品一点を床に設置された展示台に飾り、年に何度かにわけて長期間発表する計画です。対象は9歳以上の子供から大人まで。その第一回は象形文字を使った「心 – 天を指差す」です。これを機会に心の象形文字を調べてみましょう。また作者がどのように作品化しているか考えてみましょう。

 
撮影 越後館長
撮影 越後館長

岡崎和郎「もうひとつのヒロシマドーム」構想  空閑俊憲 

 

 戦争を知らない人は多い。私もそのひとりだが、岡崎和郎は1945年8月6日遠く広島上空が不気味な光に覆われたのを目撃している。その二ヶ月程前かれのいた岡山でも激しい空爆があり、市内は焼け野原に変わった。かれは当時まだティーンネイジャーだったが、国から義務づけられた竹槍訓練に参加させられたという。しかし戦争はようやく終焉を迎えようとしていた。

 戦争を知らない私たちは、いま福島原発事故による放射性物質に不安を抱いている。科学が無言で私たちの日常生活に侵入していることにも気づかず、便利が優先で、工夫したり考えたりする時間を専門の技術者たちに任せている。日本ではとくにテレビやゲームに時間を費やす人たちが多い。電車のなかで携帯電話に見入る人たち、座席にずらりと並んで昼間から居眠りをする若者たち。街を歩く誰もが同じ顔をしている。共通の顔を思い浮かべて化粧しているのだろう。疲れている日本の若者たち。

 岡崎和郎はいつも目覚めている。この作品はクラゲのような脚で立っているが、それは原爆投下後に降った重油のような放射能を含み汚れたあの黒い雨の染みを象っている。造形的にとらえると、平面の始まりと果ての二辺をつなぎ円筒形がうまれる。こうして黒い雨は二次元から三次元へと拡大し、さらに垂れた雫と雫との空隙は私たちが失ったものたち、虚の次元を表白する。

 負の世界遺産に認定されている原爆ドームとは別に、岡崎和郎の「もうひとつのヒロシマドーム」を建てようではないか。そこでくりひろげられる希望に満ちた様々なイベントを、私は見たい。科学と人間との健全な共生への願いは作者だけではない。私たちの願いでもある。ちょっと待ってくれ、視界から消えていくものたち、堆積していく透明なものたちよ。

 

*「もうひとつのヒロシマドーム」は8月6日(広島記念日)― 8月15日(終戦記念日)の期間にかぎり「心 - 天を指差す」にかわって玉川台図書館で特別展示されます。

 

このプロジェクトはすでに予告なしに始まっている。岡崎和郎のオブジェ作品を一ヶ月から一ヶ月半の長期にわたって毎回一点展示する企画は第三回目を迎えようとしている。思いがけぬ時と場所を選んで芸術の力で現実に切り込もうとするこの作業は、日溜まりのなかで埃と生温い空気とに飼いなされてしまった今日の芸術の、その本来の面目を果たすだろう。岡崎の仕事は目覚めている。半世紀以上こつこつと「補遺」の畑を耕してきた作者は、農夫のように誇らしげに珍しい収穫をあなたと祝うだろう。

 習慣は私たちを催眠にかける。それは現実の不安から私たちを守ってくれると誤って信じられているいわば睡眠薬のようなものだ。どんな習慣も絶えず見直さなければならない。私たちの日常生活で、公共の施設で、私たちの命を活性化させるものが、たんに経済的目的ではなくほんとうの火種として、生活を社会をより良い方向へ活性化させることにつながるとしたら、こんなにすばらしいことはないではないか。

 「まだ図書館の展示を見に行っていませんが……」という電話を岡崎さんや私はときどきいただく。しかし、ご心配なく。これは通常の展覧会やイベントではない。継続した時間のなかに脈打っている今生まれたばかりのきらきらと輝いている命に等しい。いつでも収穫を分かち合っていただきたい。

2011年 夏の終わりに、空閑俊憲